メモ帳
Pembroke Welsh Corgi
2002年2月8日(金) 北海道旭川生まれ 北陸の金沢育ち 2011年5月1日(日)。 9歳3ヶ月近く(3,370日)の 生涯を全うしました。 家族のみんなに愛されて、 とても幸せな生涯でした。 リンクのお友達 カテゴリ
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ボクは、むーちゃんなんだワン。 ボクは、元気なんだワン。 今日は、パパが昔話をするのだワン。では、パパ。頑張るのだワン。 昔、「日本海博」という地方博覧会がありました。 開催期間は、1973年8月18日から10月14日までの約2ヶ月間でした。 場所は、石川県金沢市の西部緑地公園というところだったと思います。 会場面積は、東京ドーム約21個分。 そこに、いろいろな企業のパビリオンがあったり、期間中だけのジェットコースターがあったりしました。 むーちゃんパパは、開会式の当日、友達と二人で自転車に乗ってでかけ、開門まえにゲートに並びました。 ただ博覧会を見にいくだけならそこまでしないのですが、実は理由がありました。 開会式当日の夕方から夜にかけて、ジャズのライブコンサートが行われることになっていたのです。 ジャズのライブに行くのは、その時が初めてではありませんでした。 前年までは、市内の卯辰山相撲場でライブがありました。名付けて、「ビート・イン・サマー・ナイト」と言いました。 この卯辰山相撲場は、すり鉢型の相撲場で、すり鉢の底に土俵があります。収容人員は15,000人。 土俵の上に特設ステージを設けて、そこで演奏されました。 しかも、三日間連続で、夕方から夜まで続いたのです。 前年の1972年の日程は、8月17日フォーク、8月18日ロック、8月19日ジャズでした。 この時も同じ友達と一緒に、三日目のジャズを聞きにいきました。 ジョージ大塚さん、日野皓正さん、菊地雅章さんたちのグループがそれぞれ演奏しました。 日野皓正さん。 菊地雅章さん。右奥に写っているのは、当時、菊地雅章さんのグループだった峰 厚介さん。 この時のカメラは、オリンパストリップ35というコンパクトカメラでした。 ところが、1973年は、日本海博があるということで、ジャズは日本海博での開催となりました。 友達が良い席を確保したいというので、朝早くから出かけたのです。 昼間はいくつかのパビリオンを見てまわったりしました。 そして、昼食をとったあとで、うろうろしていると、かき氷を食べている方が。 ジョージ大塚さんです。ドアップの撮影にも気軽に応じてくれました。 そして、横には、先日UPした、日野皓正さん。 横でドラムのスティックを持っているのは、、、 弟の日野元彦さん。(1999年に亡くなりました。) みなさん、とっても気さくに撮影に応じてくれました。 そして、夕方、暗くなる前から演奏が始まりました。 むーちゃんパパたちは、前から2列目ぐらいでした。 トップは、日野晧正さんのグループでした。 日野元彦さん。 ジョージ大塚クインテット。 昼間とは打って変わって、集中していました。 たぶん、真ん中のトランぺッターは、大野俊三さんだと思うのですが、、、。 カメラ目線のジョージ大塚さん。 川崎 燎クインテットです。真ん中でギターを弾いているのが川崎 燎さん。 峰 厚介クインテット。 渡部貞夫さんのグループ。 このあと、笠井紀美子さんのボーカルがあり、その後でジャムセッションが始まりました。 ジャムセッションでは、多くのメンバーが合同で演奏します。 左から、峰 厚介さん、日野皓正さん、たぶん大野俊三さん。 これは、大野俊三さん(たぶん)。 カメラはニコンの「NikomatFTN」、レンズは「ニッコールオート50mmF1.4」。(このレンズは、まだ使えるので持っています。) 使用したフィルムは、川崎 燎クインテットまでが、富士フィルムのネオパンSSS。 峰 厚介クインテットからジャムセッションまでは、コダックのトライXを2倍増感現像しました。 実は、先日、この写真を見直していて、その日の記憶が少しずつ甦ってきました。 前年のジョージ大塚クインテットには大野俊三さん(たぶん)は、いなかったので、この時初めて聞いたのです。 若いのに上手で頑張っているなあと驚いて、写真を何枚も撮ったようです。 パパは、上手とか上手でないとかわかるのか?だワン。 実は、パパは、中学生の時はブラスバンドだったのだワン。そして、県の代表として、北陸大会に出たり、 中部日本決勝大会に出たりしていたのだワン。 1年下の後輩たちは、全国大会で金賞だったのだワン。 でも、パパの時ではないのだな?だワン。 はい。 パパは、何の楽器をやっていたのだ?ワン。 アルトサックスなのだワン。スポットライトは熱かったのだワン。 だから、クラシックも聞くし、ロックも、ジャズも聞くのだワン。 話を元に戻します。 やはり、この大野俊三さん(たぶん)は、翌年にはアート・ブレーキーに認められ、海を渡ってしまいました。 「大野俊三さんの公式ホームページ」のバイオグラフィーには、その後の活躍が記載されています。 実は、その後、交通事故に遭って致命的な危機に陥ったのですが、強靭な精神力で復活されました。 また、癌になってトランぺッターとしては致命的な傷害を受けたのですが、それをも克服されたのです。 なお、タケシの「アンビリーバボー」でも紹介されました。 ブログのお友達の中にも、現在、大変な病気と闘っている方々がいます。 仕事を探している方も、悲しみに打ちひしがれている方も、、、。 うちもそうだけど、いろいろと悩みを抱えている方も、、、、。 是非とも、大野俊三さんのような不撓不屈の挑戦を続けて、いつかきっと克服してほしいと思います。 みなさん、頑張りましょうなのだワン! パパも頑張って全快するのだワン〜。 記事の中に広告が入っている場合、エキサイトさんが載せている広告です。ブログ管理者が掲載しているのではありません。
by inzei_com3
| 2011-02-11 22:09
| 音楽
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